虎尾伴内の手帳 ~真夏の顔を持つ男~

ただしBREEZEは鼻から通り抜ける

タモリが言う「実存のゼロ地点」に立ったら死にたくなった時の話をする

tomolog.hatenadiary.jp

※2016/11/20一部追記修正

このブログに出てくる「実存のゼロ地点」は、今から20年以上も前に「講演大王」という番組の中でタモリが唱えたもの。

要するに、自分や周囲を取り巻く状況(○○会社の課長とか、息子が東大生とか)を一切取り去って、完全な「ゼロ」になった状態のことを「実存のゼロ地点」というのだ。

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

 

 

私は学生時代、タモリの言う実存のゼロ地点に(たぶん)立ったことがある。

大学進学を機に上京した19歳の夏休み。

サークルにも入らず、バイトもせず、夏休みの宿題もレポートもない。そんな完全なる自由に、自分の身を置いてみたくなったのである。

8月は実家に帰っていたが、9月には東京に戻って、本当に何にもない一か月間を過ごした。友人も、家族も、上司も部下も、先輩も後輩も、まして恋人もいない。

締め切りや、仕事のストレス、恋の駆け引きなんかも何にもない。

 

まさに「実存のゼロ地点」。

 

朝起きて、sakusaku見て、そのまま二度寝して、昼過ぎまで寝て、うだうだしてそのまま一日が終わる。

 

こういう生活を一か月繰り返した結果、

 

僕は実家の母に「死にたい」と電話していた。

 

結局のところ、誰とも会う予定がない、何もしなくても良い状態というのは、とりもなおさず「誰からも必要とされない」ことだ。

僕は実存のゼロ地点に限りなく近づいた結果、それが「誰からも必要とされない」ものだと気づき、結局10月から大学に行き始めたのだった。

 

単純に僕は孤独に、自由に耐えることのできない人間だったのかもしれない。クリエイティブな芸術家、小説家、音楽家なら、一月、一年、ひとと会わなかろうが、何とも思わないかもしれない。

でも、僕は凡人だった。

凡人だったことに気づいたために、実存のゼロ地点に近づき、そして死にたくなったのだ。

 

いまぼくは、ゼロ地点からはるか離れた。

 

そしてもっと遠ざかろうとしている。でも、僕はわかってるのだ。

実存のゼロ地点は、僕には耐えることができなかったと。

不自由でなければ、僕は生きられないのだと。

 

僕はタモリには、なれなかったのだ。

 

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

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