ナイアガラ的って何だよ(哲学)
前の記事で、ナイアガラ的にものを批評するとぶち上げておいたものの、
ナイアガラ的ってなんだよ(哲学)ということで、自分が把握している大瀧詠一氏の発言や文章から、箇条書きにしていくことにする。
・純化の否定・・・とにかく雑食であれ。彼は、映画のロケ地巡りのために、企業の社史(劇中登場した工場の場所を調べるため)まで読んでいたほどだ。とにかく何にでも興味がある人だった。ひとりCIA、ひとり総合商社、ひとりGoogle、それが大瀧詠一。
・音楽に貴賎なし・・・彼に言わせればすべてのものに先駆者ありだそうだ。疑う人には日本ポップス伝(相手役の女性があまりにモノを知らないのにちょっとイラッとさせられるが)を聞くことをお勧めする。
なお、日本ポップス伝の内容を全部まとめたサイトも存在する。あきらかにWeb1.0感あふれる古いサイトだが、ぜひ聞きながら参照してほしい。
・いきあたりばったり・・・3年間で12枚のアルバム制作、販売する契約にサインするなど、どう考えても計画性があるとは思えない。12年シングル出さないとかも。
・縁(えん)の重視・・・偶然の出会いを重視するということなんだろう。たまたま楽曲を提供した沢田研二の伝手で、長年大ファンだったクレイジーキャッツと会う機会に恵まれたというエピソードもある。
・ライブ感の重視・・・要するに昔のライブを後からいい音でCDで聞くより、全然聞こえなくとも現場にいる方がよいとする考え方。その場のにおい、空気を感じろ!ということだろう。
うーん。まだまだ。もっとサンソンの新春放談を聞かないと・・・。