昭和の芸人、古川ロッパの日記が飯テロすぎる
どうも、昨日行った美容院で、50歳前後ぐらいのオッサン美容師に、初対面なのにやたら君付けされるという不思議な体験をしました、虎尾伴内です。
さて、古川ロッパ、という人を知っているだろうか。
彼は戦前期の喜劇役者で、全盛期にはあのエノケン(榎本健一)をもしのぐほどの人気者であった。また、若き日の森繁久彌は、彼の劇団に所属していたことがある。
彼は喜劇役者の一方、エッセイストとしても活動したが、その文才は、本来公開するはずのない日記にもいかんなく発揮された。
昭和9年(1934年) から始まった日記は、戦時中も休むことなく続き、戦後人気が低下し、病気となって死ぬ直前まで書き続けられた。
この日記はロッパ晩年に「古川ロッパ昭和日記」として公開されている。
古川ロッパ: 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王
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この日記は、単に日常の記録、というよりは昭和時代の文化や風俗を色濃くのこしているのだが、何よりロッパの美食家ぶりがよく伝わってくる。
要するに喰ってばっかりいるのだ。たとえばこう。
(以下 昭和11年の日記から引用)
昨夜ウイスキーをのんだが、咽喉さほど悪い状態ではない、きこえる程度には行く。グリルで朝食、ポタージュにフライと玉子のグラタン、それにオレンヂ・ジュースをふんだんに飲んだ。
八時半起き、十時に日劇会議室で社長の話あり。別にこれって話もない、たゞ訓辞みたいなこと。先へ失礼して座へ。昼の部、トチる奴多く、ダレてゐるので 一同注意せよと黒板に書く。一人、ニューグランドへ食事しに行く。ポタアジュ、ほうれん草、タピオカ入り、うまい。スープは断然ホテルよりよし。白い魚の ムニエルと、スプリングチキンのひき肉詰を食ってみる。共によし。プディングはいかん。
世間でブームになる50年以上も前、まだ一般人が誰も知らない時にタピオカ喰ってるあたり、グルメといわざるを得ない。
ちなみにスプリングチキンという料理がわからなくて調べたら、こんなのが出てきた。
ロッパよ、これはいかん。実に80年越しの飯テロである。
しかし、太平洋戦争末期となる昭和19年~20年にかけては、食糧事情も悪化。ロッパもどうにかして「うまいものを腹いっぱい」食おうとする。
たとえばこうだ。昭和19年1月の日記から。
一月十一日(火)
昼食、帝国ホテルのグリルへ、久々で行く。註文制となり、前以って申し込んだ。
一人前では困るので影武者(?)を一人連れて行き、その分も食う。
彼は、目の前へ並んだのを見るだけだ、辛かろうが、許せ。
二人でレストランに行って、ロッパが二人前喰って、もう一人は見てるだけ。ひどすぎる。ちょっと頂戴どころの話ではない。
この他にも、ヤミ洋食屋に行ったり、巡業先で洋食を喰いまくったりなど、喰いたい放題。この時期にこんだけ喰うのは、天皇陛下でも無理だろうに。
ロッパはその美食ぶりがたたって、晩年は糖尿病に結核と病気続きとなり、57歳の若さでこの世を去ることになる。
うまいものをたらふく喰って長生きした人は、いないものかなぁ・・・。
↑さっきの料理独り占めエピソードは、この本に載っている。