虎尾伴内の手帳 ~真夏の顔を持つ男~

ただしBREEZEは鼻から通り抜ける

好きなミュージシャン好きな理由(わけ)~第2回 ユニコーン~

自分がこれまで好きになったバンド、歌手を好きになった順に語る企画の第2回目は、ユニコーン。

世間的には「奥田民生がいる(いた)バンド」なのかもしれないが、それにとどまらないのが彼らのよいところ。

そんなユニコーンを皆さんにご紹介したいっ。

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ユニコーンとは?

広島でアマチュアバンドのドラムスだった川西幸一をリーダーに1986年結成。初期メンバーは川西、ギター手島いさむ、ベース堀内一史、キーボード向井美音里、ボーカル奥田民生。

ユニコーンは結成後すぐにソニーのコンテストに合格し、アルバム「BOOM」でデビュー。

BOOM

BOOM

  • アーティスト: UNICORN,奥田民生,川西幸一,堀内一史
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
  • 発売日: 1987/10/21
  • メディア: CD
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その後向井が脱退し、後任として阿部義晴が加入するが、プロデューサー志向だった阿部の加入がバンドを大きく飛躍させることとなる。

1989年にあの「大迷惑」を含むアルバム「服部」が発売。一気に単なるアイドルバンドから脱却する。

服部

服部

  • アーティスト: UNICORN,手島いさむ,川西幸一,奥田民生,堀内一史,阿部義晴
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
  • 発売日: 1995/12/13
  • メディア: CD
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翌90年には、名曲「働く男」が入った「ケダモノの嵐」が発売。その地位を不動とする。

ケダモノの嵐(紙ジャケット仕様)

ケダモノの嵐(紙ジャケット仕様)

 

 

しかし次第に各メンバーの方向性の違いが大きくなり、ついに1993年にリーダー川西が脱退。バンドは空中分解し、同年9月に解散した。

解散後はメンバー(特に阿部)が当時の話すら嫌がるほど辛い過去と化していたが、00年代後半から和解が進み、2009年、なんと解散から16年ぶりに復活!その後はマイペースに活動を続けている。

出会ったきっかけ

2006年ごろ、当時学生だった私は相変わらずQUEENしか聴いていなかった。

ただ、木村カエラ(当時はタレントとして好きだった)が奥田民生とコラボすると聞き、なぜか奥田民生ソロではなく、ユニコーンに関心を持つようになった。

当時は再結成前だったこともあり、アルバムを売っているお店はほとんどなく、オークションに手を出した記憶がある。

なお、2015年現在、いまだにライブに行けていない。メンバー全員が生きているうちに早く行きたい!

 

超個人的好きなポイント

・メンバー全員がボーカルをとり、飽きさせない。ライブ中も何度もボーカルやパートが入れ替わるのは楽しい。

・洋楽へのオマージュと、日本人ならではの日常や悲哀が入り混じった表現が面白い。

・(特に再結成後)世間を気にせず、内輪ネタを堂々とやりつつも、結局は世間も楽しませるところ。

 

ユニコーン「この一曲」

ここは2ndアルバム「Panic Attack」から、「サービス」を推したい。


サービス UNICORN - YouTube

この頃の奥田民生のボーカルは本当に素晴らしい。カッコよさとかわいらしさ、甘さが同居していて、私の理想の声の一つだ。

ちなみに詞は倦怠期の恋人との関係を歌っているようで、実は風俗嬢の歌だ、という説がある。

ユニコーントリビア集

・奥田民生は初期のPVで、テディベアを抱っこさせられるのが嫌で泣いた。

・阿部義晴は93年の解散直前には精神安定剤を服用していた。00年代以降も続けていたという本人の証言もある。

・川西幸一がユニコーンを結成する際、メンバーを選んだ基準は、「ルックスがいいかどうか」

・手島いさむの息子は、学校へ行こうの「未成年の主張」に出たことがある。

・堀内一史が作った1stアルバムの曲「Alone Together」は、露出狂にあったときのエピソードを基に作った曲。